前回からの続きです。
その日、紹介されたお便りの内容は、次のようなものでした。
『先日妻が亡くなりました。その過程でどうしても知りたいことがあります。妻はパート先からの帰り、乗っていたオートバイごと倒れ、頭を打ち、病院に搬送されましたが、意識を取り戻すことなく20日後息を引き取りました。
しかし、脳死したのにもかかわらず、彼女の目からはぽろぽろ涙がふいてもふいても落ちてくるのです。どうしてその涙を流したのかが、私にはどうしてもわからないのです。涙の理由を知りたくて一筆差し上げた次第です』
そして、この手紙に江原さんはこんなふうに答えていました。
『完全に脳死していても、肉体の機能が停止しただけで、死んでしまったわけではありません。生きています。そして、涙の理由は当然と言えば当然のこと。ご主人は悩み続けているかもしれないけれど、ご主人を残して逝かなければならないこと、そのことが辛くて泣いているんです。これまで夫婦二人三脚、苦しいときもずっと二人で生きてきた。そのあなたに、「お先に失礼します、ありがとう」の意味も込めて涙を流したんです。
想像力を持って欲しい。もしも、自分が死んだほうの立場で、声も届けられない。そのときにどうやって想いを伝えるか。』
』
聞いていて、電車の中なのに涙が止まりませんでした。
なんだよそれ、とも思いました。
そんなの悲しすぎる。
涙を流すことでしか思いを伝えられないことも、そうまでして伝えようとしてくれた思いにすぐに気づいてあげられないことも。
そのときにわかってあげられていたら、もっと強く、その手を握ってあげることだってできたかもしれないのに。
『伝える』っていうのはこういうことだって、思った。
どうしても、どうしても相手に伝えなきゃいけない想いがあるからこそ、声を失っても、言葉が届かなくても、体が動かなくなっても、自分の使えるすべてを使って伝えようとする。
どういうふうにすれば相手にわかってもらえるかを、必死になって考えるんだ。
涙を流すしか他に方法がないのなら、枯れるまで泣き続ける以外にできることなんてないんだ。
お芝居にも通じることだけど、でも全然特別なことじゃない。
綾さんが前に
ここで書いてたことを思い出しました。
「ふわり〜」のころの日記ですね。
読み返して、ちょっと胸が苦しくなった。
大事なことってきっとこういうことだ。
綾さんだけじゃなく、みんなこういうふうにしてずっといろんな気持ちと向き合ってきたんだよね。
(身体は大事にして欲しいけど)
想像力。
今一番そいつが欲しいと思う。
これ、ブログに書くことちょっと迷ったんですが、でもこういう想いがあるんだってことをみんなにも知って欲しくて、自分が感じたことをそのまま書かせてもらいました。
最後に。
亡くなった奥様のご冥福と、ご主人の幸せを心からお祈りしています。